~基本的に幸運の持ち主~
益満 愛(ますみつあい) 誕生日8月17日
活発でイタズラ好きな少女時代
子供の頃はいつも男の子と遊んでいて、妹や弟をいじめていた。
カエルをバケツ一杯に捕まえて遊んでいた。
小5年生の時にJリーガーになる手前で怪我をしたという先生が、サッカーを教えてくれた。
当時Jリーグが発足しすごくブームだったこともあり、すっかりサッカーにハマる。
走るのは嫌いだったが、先生は走り方も教えてくれていたし、毎日サッカーすることで、走るスピードが50m10秒台だったのが7秒台になった。この時にやったらできる事を学んだ。
中学生になり、テニス部で3年間真面目に練習をした。
1年の時、3年生の後輩イビリがすごく、とにかく先輩になったらあんなことはしてはいけないと思いながらやってきた。
3年生になった時は副部長になり、みんな楽しくできるように心がけていた。
看護師になる夢を抱く
進路の事を考えだし、当時テレビで見た「ドイツの国際平和村」レポートを見て、ボランティア活動がしたいと思った。
平和村に行くには医療の知識とお金が必要だと考えた。それなら看護師の道に行こうと思った。
しかし、看護師の道を甘く考えていた。
准看護師の学校があったので、受験をするも落ちる。
そこで挫折・・・。
地元の普通科の高校に進学することになった。
高校時代は昔から興味のあった書道部に入る。
・・・しかし入部の仕方が不純で、顧問の先生に、どうしても入ってほしいと言われたので、バイトをするのを認めてくれて、しかも内申点をくれるなら入ると言ったら、OKが出たのでちゃっかり入ることにした。
入部の仕方は不順であっても、書道の道具を作りに行く合宿があったりして、すごく楽しかった。
3年間で自分の道具一式を作り、作品を作り上げる。掛け軸なども作った。それが大阪市立美術館に飾られたことが嬉しかった。
バイトに明け暮れた高校時代
それと並行して、高校3年間はバイトに明け暮れていた日々。
高校受験の前日にすでにバイトの面接にいった。
スーパーの中のテナントに入っているパン屋さん。
「明日受験ちゃうんか?」と言われたが。
「いけるっしょ!!」みたいなノリで面接を受け、パン屋さんで働かせてもらうことになり、3年間ずっとそのパン屋さんでバイトをした。
余ったパンをもらえるのが嬉しかった。
そこで働くことの厳しさを知る。
何度もやめようと思ったのだが、やめたいと言う勇気もなく過ごす。
一方でスーパーで働く人たちに大切にしてもらった。
高校卒業前の12月の大みそかに閉店。
そこから卒業までの3か月間はとにかく遊びまくった。
夢の道が絶たれる…
進路は、推薦入試で看護の専門学校が決まった。
念願の看護師の道が開く・・・と思った、しかし、入学金が300万円が用意ができなかった。
父親から「不甲斐ない親で申し訳ない」と謝られた。
あきらめるしかなかった。
両親は負い目を感じていたが、私はコレでよかったと思っている。
20歳を超えてからでも専門学校に行けるので。
ぜんぜん負い目に感じる事はないと思っていた。
卒業後、アルバイトの日々。そこで才能開花?!
看護師一本で考えていたので、何も準備をしていなく、就職の道や他の進学の道もあきらめて、フリーターになった。
卒業してから、平日はパン屋さんがあったスーパーのレジでバイトを始めることになった。
さらに土日は違うスーパーでお寿司を巻くバイトをした。
365日ずっとバイトをしていた。
その働きぶりが猛烈だったのか、他のバイトにポイントカード制度を教えるために、本部の会議に参加するまでになった。
お店の人達から「本部に女性トレーナーですごく怖い人がいるので気を付けて!」と言われていた。
本部の会議の後にわからないことがあったので質問をしたら、まさにその人だった。
噂で聞いていた感じではまったくなく、すごくいい人だった。
いろいろ質問をして、自分の店に戻った。
その後、その女性トレーナーの推しもあって、お店の店長推薦ではなく、本部推薦で社員試験を受けることになった。
そして合格。
社会に出て2年目の事だった。
さらに20歳の時に、もう一つ上の社員試験も受けて、合格。
順風満帆のスーパーの社員生活を送った。
人間関係にゆがみだす
そんな中・・・。同時に社員試験を受けていた人が落ちてしまい、それをきっかけに私へのいびりが始まる。
その人の仲のいいお客様からのクレームの嵐だった。
私に直接クレームを言うのではなく、私を知っている他店の課長や店長に、電話で私のクレームを言うのだ。
一度始まると2時間はざらにクレームを言われ続ける。
また一方で、6歳下の妹が同じスーパーでバイトをしていたのだが、店内で盗撮され、ストーカー被害にあっていることも判明。
内部の犯行であることは明確だった。
さらに妹にもクレームが出だし、アルバイトの妹はクビにされた。
精神的にかなりまいってしまった。
そんな中、本部からは守れないので、他店へ転勤してほしいと言われた。
次の勤務先の店に行った初日。
トイレで1時間泣いた。
環境が全然違いすぎた。
働いている人たちみんな怖いし、自分が何していいかわからなかったのが情けなく悔しかった。
数か月たって慣れてきた。
店が暇だったので、課長に「暇なので、仕事ありませんか?」と言うと、課長に、「首を吊ってみろ」と言われた。
あからさまなモラルハラスメントだ。
私は友達が首を吊って自殺した経験があったので、その行為にすごく嫌な思い出があったので、言われたショックが大きかった。
前の店の課長に相談したら、その話が組合の委員長にまで話が行った。
「首を吊れ」と言った課長には謝られたが、その事が店の中で私をより孤立させた。
私の事をみんなが知らないから、「敵に回すとややこしい」と思われ、避けられるようになった。
前の課長からは、「頑張って仕事に行け」と言われたが、向かう電車の中で涙が溢れ出てくる。
本部の女性トレーナーにもやめたい事を告げた。
するとすぐに飛んできてくれた。
しかし、やめないようにと言われただけだった。
しばらくして、また転勤になった
転勤するが、そこでは…
この転勤には大きなミッションが課せられていた。
前々からこのお店では従業員の不正行為があるという噂があったのだ。
私はレジ責任者を担当することになった。
その頃から私の事で本部にクレームが入るようになった。
しかし実際には現場にいない。
他のクレームも私の文句ばかり入るようになっていた。
「やはり来たか。」と思った。
実は、このお店は、パートリーダーが怪しい事をしているらしいという情報を掴んでいて、その尻尾を掴む目的があったのだ。
その後、レジの金額が合わない。
防犯カメラをずーーっとチェックしていくと、パートリーダーのお金をポケットに入れる瞬間を発見。
しかも何度もやっていた。
その他、タバコの1カートンの盗難、テナントに入っているクリーニング屋への商品の横流しなど、数々の犯行がカメラには映し出されていた。
パートリーダーの不正の証拠をつかみ、完全にミッションをクリアをした。
ターニングポイント
その後、29歳の時に、労働組合の支部長をしていた。
会社と店舗の大改革で、労働制度の変革などで、従業員に説明会をしていく仕事を、通常業務と合わせて行っていた。
30歳の時に、組合の中心にならないかと言われたが断った。
しかし、会社の制度に悩む従業員が多かった事を知っていたので、みんなの役に立てるかもと思い、労働組合の専従者になることにした。
しかし2か月で鬱になってしまった。
そこで働くことになって1か月168時間しか働いていなかった自分が、365時間働くことになった。
店に出たり事務をするのではなく、組合の仕事だけだったのだが、賃金交渉を始め、よりよくみんなが働くことの為に、やることは山積みだった。
社員のみなさんに「サービス残業していませんか?」と呼び掛けに行ってるのに、自分はまったく休んでいない。
さらに労働組合の団体自体の体質が嫌で嫌で仕方なかった。
組合は労働者の為にあると言われたが、その上にはさらに上部団体があって、組合はそこにばかり気をつかっていた。
組合の上の人から、「組合費を自分の好き勝手使えるから楽しいよ。」と言われたことも嫌悪の一つだった。
「パートさんから集める数百円の組合費だけど、大切な働いたお金。それを自分の好き勝手に使えるって?!」
理不尽なことばっかりだ・・・・。
組合の仕事をするといった時、上司に「お前は泥水のめるか?きれいな水は飲まれへんぞ」と聞かれたことを思い出した。
「こういう事か・・・」と思った。
自分の仕事に疑問を持ち、誇りが持てない。
次第にご飯食べられなくなっていった。
始発で仕事にいって終電で帰る生活・・・。
朝に水だけのんで、レッドブル買って飲む・・・。
夜来たらほっとして、朝来たら嫌になる。
電車に飛び込みたいと思うし、誰かが刺されたと聞いたら、なんで私を刺してくれなかったんだと思うようになってきた。
どんどん心が荒んでいった・・・。
その頃、サロン・ド・ポムに通っていた。
4年前に体重27キロ落とすことに成功したお客だった。
この時、なぜかわからないけど、ふら~~と引き寄せられるようにポムに行った。
そこにたまたま補正下着メーカーの部長さんが来ていて、私の姿を見て、「仕事をやめなさい!!」と言われた。
友達に相談したら、病院に連れて行こうとしてくれた。
しかし病院に行きたいわけではなかったが、行くことになった。
先生にいきなり入院しますか?と言われた。
「入院はいい、とにかく診断書が欲しい」と話す。
薬を処方されるも、絶対に飲んだらダメだと思っていたので、「とにかく診断書が欲しい」と頼んだ。
「抑うつ状態」と診断され、休職した。
回復と新展開
しかし働いていない自分は、人間として価値がないと思っていた。
やめるなんてもってのほかだとおもっていた。
だから休職しても眠れなかった。
完全に負のループ・・・。
これではダメだと、大好きな沖縄の宮古島に行くことにした。
リフレッシュの為に旅行にいったのだが、休職しているのに旅行にいくという罪悪感がぬぐえない。
この旅行の前日に、サロン・ド・ポムから一度来てほしいと言われていた。
旅行から帰って、ポムに行ったら、「一緒に働きませんか?」と誘われた。
一回断った。
畑違いだし、迷惑をかけると思ったからだ。
オーナーは「知識は今から入れて行ったらいい。
それよりスーパーで培った接客技術を生かしてほしい。」と言われた。
自分の今置かれている状況と、自分に価値を見出して差し伸べてくれる手。
よく考えて、一緒に働くことにした。
なぜサロン・ド・ポムのオーナーたちは私に声をかけたのだろう?
理由を聞くと、私の手が施術するのに良さそうと言われた。
肉の付き方とは、「手」はもって生まれたものだから変えることはできない。
と言われた。
ポムはお客様からスタッフになって行っている。
それはお客様の気持ちはお客様が一番良くわかってるからだ。
そうして、スーパーでずっと働いていた私が、新人セラピストとして働くことになった。
火事!強制的な断捨離。本当に大切なものは少ない
2016年の4月にスーパーの会社関係の人達に誘われて、大阪城にお花見に出かけた。
お花見最中、あちこちから電話が掛かってきていたが気が付かなかった。
すごい着信履歴があったので、母親に電話をしみたら、
「家が燃えてる!!!」
家が火事で燃えてるというのだ!?
一緒に花見をしていた皆さんに、「家が燃えてるみたいなので帰ります」といい、
電車に乗った。
家の最寄り駅の15分ほどの時間が、いつもよりはるかに長く感じた。
家に帰ると規制線はられてて、消火活動が続いていた。
全焼。
原因は放火・・・か漏電か・・・。
出火原因不明。
幸い家族が誰も家にいなかったので、全員無事だったが・・・。
突然家がなくなってしまった・・・。
その日の夜から1週間、公民館暮らしが始まる。
幼馴染がくれたイケアの袋に、焼け跡から残ったものを入れていった。
水浸しで煤だらけ・・・。
大したものが残ってなかったが。
かろうじて、写真と父の書類が見つかったくらい。
そんな中で、父親の本に挟んだへそくり7万円がそのまま出てきた。
虎の子の7万円で、とにかく必要なものを買った。
友達が次々と布団や服を持ってきてくれた。
一軒家の借家だったので、大家さんに連絡するも、偏屈な対応しかされなかった。
賃貸契約書も燃えてしまったので、保険請求もできないし、大家も協力的ではない理不尽な対応に非常に困らされた。
焼け残ったものの中から、父の書類をよく見てみると、イケアの袋の中から賃貸契約書が出てきた。
これで保険請求ができることになった。
しかしその後も大家さんともめ続ける事になった。
さらに近隣の人もややこしく、消火活動で水浸しになった事を根に持ち、近所に悪口を言いふらしているのを発見した。
泣きっ面に蜂の状態だった。
埒が明かないので、民事調停を起こし、保険と隣人の見舞い金などを調停で取り決めることになった。
同時に新しいを家を探すも、煤だらけの家族が不動産屋にやってきたので、お店の人の対応もおかしかった。
飛び込みではダメだとおもい、知り合いを伝手に不動産屋さんを紹介してもらい、マンションを決めた。
公民館から移動し、そこに暮らし始める。
カバン1つだったので引っ越しが楽にできた。(笑)
スーパーで働いていた時の有志がお見舞金を集めてくれたり、妹が化粧品会社に勤めていたので、会社から母と私と妹の分と50万相当の化粧品が届いたり、どんどん助けの物資が届いた。
当時熊本の震災があったので、避難している人たちをみて、自分たちはすごく幸せだなと思った。
だから使わないものは売ってお金に換えて、熊本に寄付をしていった。
そうこうしていると、保険も満額出ることになった。
家は燃えたが、結果的によかった。
父は、昔から友達と遊び惚けている私に怒っていたが、そんな友達がみんな助けてくれたので、見直してくれた。
そして、火事がきっかけで、妹は交際していた恋人との結婚が決まった。
大切なものは全て残り、不幸だったが、すべてが良い感じで転がっていった。
まさしく強制断捨離!!(笑)
ポムで働きだしてから
ポムで働きだしてから・・・。
知識はまだまだないけど、いろいろ助けてもらいながらやって行ってる。
早く一人前になるように、ホルモン免疫栄養学の講習に通ったり、中医学を学んでいる。
身体のいろんなことがわかってきて、場数を踏みながら成長をしていっている。
信頼関係の大切さ
今までもお客様と信頼関係を作っていたが、特に信頼関係が築けたと思う事がある。
高校の時から通ってるお客様がいて、その方はすごくめんどくさがり屋だった。
ある時、その方の結婚が決まったことが私にとって印象的な出来事になっている。
当時の恋人に、身体が弱かったので身体を変えてくれないと結婚は不安だといわれたそうで、私にその相談をしてくれた。
「彼の為にも身体を変えたい」というその想いに、私も一生懸命向き合っていった。
食べ物はどんなものを食べているのか、家でどんな過ごし方をしているか、メンタル面のケアまでもとことんした。
いろいろお話を聞いていく中で、結婚に対しての悩み事も打ち明けてくれて、私なりに一生懸命答えて行った。
すると何かとめんどくさがっていたお客様の性格が変わってきた。
とにかく前向きになってきた。
結果も出てきだすとより変わっていった。
私を信じてついてきてくれたら、相手が変わってくれた。
セラピストとしての大切な事をお客様から教えていただいた。
これから結婚式の先に、妊娠するまで健康でいてほしいと思って続けていった。
そしてその方が妊娠をした。
すごくうれしかった。
このあと産後ケアも一緒にやっていくことが楽しみで仕方がない。
こういったひとつひとつの信頼関係が築けたことが、私の自信と財産となっている。
これから、どんなセラピストに
中医学を勉強し始め薬膳に興味をもった。
食べ物一つで意味が変わり、食べ物が薬になる所が面白い。
薬膳はまずいイメージがあるが、ほんとにおいしく食べられるようにすると、家庭で簡単にできる薬膳が作れるはず。
だから誰でも作れる薬膳料理を学んで、伝えていきたい。
スーパーで売ってる野菜でも薬膳になる。
知ってると知らないでは違うので、家庭の食の鍵を握るお母さんに伝えたい。
それが家族全員の健康につながるのだから。
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