~あなたの身体の演出家~
標 裕美 (しめぎ・ひろみ 誕生日 9月13日)

<資格・受賞歴>
1996年 准看護師 資格取得
1998年 正看護師 資格取得
2013年 トリートメント セラピスト 技術コンテスト最優秀賞受賞(1位受賞)
2018年 リンパ浮腫専門看護師 資格取得
2019年 第9回エステティック グランプリ ボディ結果だし部門 準グランプリ受賞

子供の頃の夢は看護師さん

中学生のころ、学校の健康診断でやたら検査に引っかかっていた。
・・・しかし病院に行くと、何もない。

病院では「精神的なものでしょう。」と言われる。

たびたび病院にいくようになったが、いつもこの繰り返しだった。
「病気ではないが検査に引っかかる・・・
なんでなの?」という漠然とした不安と、ショックで落ち込んでいた私に、看護師さんが優しく声をかけてくれた。
人を応援する事の大切さをこの時に知る。

進路相談の時に、高校の普通課程と准看護師の課程を学べる学校があることを知り、見学に行った。
しかし通うには自宅から2時間以上もかかることなどから両親は反対。
仕方なしに普通の高校へ行くことになる。

自分が行きたかった高校ではなかったので、面白くなく、しぶしぶ通っていたので遅刻・欠席も多かった。
高校からやっと看護学校に進学する時には、自分の甘えのせいで、欠席の日数が多かったので、自分の行きたかった看護学校に進学させてもらうこともできない現実に直面する。

なんとか大学の付属の看護学校に進学。准看護師の資格取得に2年・正看護師の資格取得に2年と学校に通う。
この頃、高校時代の自分の行いを反省し、看護学校に入ってからは猛勉強し、遅刻・欠席も0で、人生の中で1番勉強していたと自負できるほどで、成績も学年で3位となった。

この頃、実習で附属病院の中のすべての科を回り、経験することができた。

中でも「血液内科」での「骨髄移植」に非常に興味を持った。
臓器移植は「臓器の交換をすること。」だが、骨髄移植は「骨髄液」を患者の骨髄に入れ込むことで、
<その人のからっぽの骨髄に新しい骨髄液ができる治療>だ。

それがすごく不思議で興味がわいた。
卒業する時に、血液内科を志望し、附属病院の正看護師になる。

夢が叶ったが・・・しかし、現実は・・・

念願の正看護師になり、希望の「血液内科」にも入り、ワクワクして仕事に取り組んでいたが、病院内の実情は違った。目の前にある業務に追われる一日が続いた。

理想としていたのは、看護師になって、患者さんをお世話をし、「身体が良くなったよ」と言われ喜ばれたかった。
しかし、まったくそんなことに喜びを感じられるような余裕がある業務量ではない。

さらに実際に働くようになって、医療業界の「闇」の部分を見てしまう事もしばしばあった。
病院側の立場優先で、患者の人生を考えてないことが多い。と感じるようになったのだ。

同時に、抗がん剤治療にも疑問を持つようになった。
「病院が進める治療で、命を長らえたと言っていいのか・・・。どういう終わり方をするのか、患者さんはわかっていないじゃないか・・・。」

病院側の説明は、抗がん剤の使用や移植の説明しかしない。
その後の事を考えていない・・・。

抗がん剤の使用や移植をした後に、その患者さんがどうなってしまうのか・・・。
しかしその事を患者さんには言わずに薦める。

病院側の思惑に加担している自分が嫌になっていった。
病気の進行で亡くなっていく患者さんが出るたびに、すごく泣いた。
隠れてひたすら泣いたが、先輩の看護師からは怒られた。「泣いていたらきりがない」と。

しかし「ひとつの命が終わる現場」に立ち会う度に、辛さが折り重なってきた。
その患者さんのお世話をしたことの一つ一つが楽しかっただけに、余計に自分の力のなさも感じた口惜しさと悲しさがいっぱいになった。

中学生の患者さんとの出会い

そんな中で、中学生の白血病患者さんが入院してきた。
今まであった患者さんは「死にたくない」とよく口にしていたが、その中学生の患者さんは、『生きたい』と言った。

その『生きたい』という言葉が、頭の中をぐるぐる回った。
『生きる事』について考えるようになった。
病気がここまで進行するまでに、なんとか健康を保てるようにできないのか?
病院に来なければならないようになる前に、防ぐことができないのか?
と考えるようになった。
夢をもって看護師になった。

楽しい事ばかりだと思っていたが、悲しい事が多かった

●病院を退職後
友達の誘いで、美容整形外科で働くことになる。
美容整形は、先生にノルマがあるために、高い手術料金を薦めていく・・・。
人のコンプレックスから求めるものとお金のやり取りの凄まじい世界だった。
患者さんと美容整形外科、双方の失敗と成功の意味の受け取り方の違いがすごくあった。
お給料はよかったが、こんなことをしたいわけじゃない、長く務めたらダメだ。私の精神状
態がおかしくなると思い、退職する。

自分でサロンを開業・・・世界が広がる

「誰かを応援して、その人の力になりたい」という想いは消えず、自宅近くのマンションの一室を借りてサロンを開業した。
しかしまだこれだけではやっていけないので、看護師の資格を活かして、デイサービスや、塾の合宿の保健室、大学の入学オリエンの合宿や、健康診断ナースをしていた。

同じ医療のお仕事なのだが、病院勤務から外に出たとたん、いろんな人と出会い、世間の広さを実感。
「私は病院の中の世界しか知らなかった・・・。」
この活動での出会いが、今の私のいろんな糧になっている。
そんな時、派遣先の同僚が、産後の痩身で通っていたサロンがあると聞く。
実際にビフォーアフターを見てもすごく痩せていて、確実に結果が出てすごい!
近所だったこともあり、すぐに出向いた。
そのサロンが、今の「サロン・ド・ポム」のオーナーの藤原智子が経営するサロンだった。

●オーナーの藤原との出会い。
藤原オーナーの出会った時の印象は、とにかくイキイキ仕事をしている人だなと感じた。
私が看護師だった時は、何をするにも愚痴が出て、マイナス思考に陥っていたのだが、藤原オーナーと出会い、考え方や捕らえ方が変えていくだけで、楽しく仕事ができる事を教えてもらった。それから嫌な所ばかりに目が行くことがすごく減った。
そこから関係が密になっていく。
自分のサロンの運営も順調になっていた。人の出会いが、どんどん自分を変えてくれてることがわかって、幸せな状態だった。
そんな時、妊娠していることが分かった。産後の状態が心配なので、サロンを閉めることにした。藤原オーナーが「産後、ポムで一緒に働かない?」と誘ってくれた。

藤原オーナーも私と同時期に二人目を妊娠してる最中の出来事だった。

お腹の子供の状態も順調に行っていた。出産予定日を2週間後に控えた時。
実家の母親が脳出血で倒れ、命はとりとめたものの、右半身マヒになってしまった。

私は3姉妹。妹2人も妊娠中で、母の世話が誰もできない状況だった。
出産と母の半年間の入院を同時に経験。父もあちこちで出産するわ、母の病院に行かねばならないわでてんやわんや。

母が半身マヒで、家に帰ってきてからどうするかを悩む。話し合いの結果、私が夫と実家に戻り母の世話をすることになった。

実家に帰ったらケンカ三昧

実家に帰ると、父親と主人の仲が悪くなってしまった。
私は、主人に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

家族同士のイライラが溜まり、喧嘩三昧の日々が続く。

一方、母は奇跡的に回復をしていく。私の介護の方針は、「手伝わない」事。
手伝わないことで、着替えに時間がかかってもいいから、自分でする事を実践した。

すると母は着替え一つにしても、自分の身体をどう動かすのかを工夫するようになった。
「手伝う」と、やらなくなる。やらなくなると体を動かしたくても動かなくなるのだ。
そうした「手伝わない」を実践していくと、一人で歩けるし、家事やお料理ができるようになっていった。

私は確信していたのだが、病院の先生は驚愕していた!笑

産後、サロンの仕事を再開

 

母の事もあり、出産自然分娩の予定が急きょ、帝王切開になった。

産後も痛みで苦しんだが・・・2週間で痛みが止まった・・・。

そうすると暇になってきた。
子供の世話をしているのも楽しいし、かわいいし、問題がなかったのだけど、とにかく働きたくなった。
そこで声をかけてくれていた藤原オーナーのサロンで働かせてもらうことになる。

 

藤原オーナーも出産したてなので、生まれた赤ちゃんをサロンに並べて寝かして仕事をしていた。
するとお客様来ても、赤ちゃんを抱いてあやしてくれたり、また今までになかった触れ合いをすることができるようになった。

藤原オーナーは、「居場所を作る」というコンセプトで、お客様もスタッフも、誰かの居場所を作るという事を目指していて、とにかく仕事でも、尊重してくれて、自由にさせてくれる。ダメだったら、それはそれで良いと言ってくれる人なのだ。

いままで出会った人の中にこんな人は居なかった。

だから一緒にやらないかと声をかけてもらった時。
絶対に一緒にやりたいと思った。

なので、今でも心地よく働けている、自分のやりたい事をさせてもらえる。

私の居場所を作ってもらったので、邁進するしかない私

サロンで仕事復帰をしてから、本格的にセラピストとして活動を始めた。

最初はやみくもに働いた!
勉強もし、お客様ととことん向き合い、その奥に「悩みの本質」がある事にも気が付いた。

2013年9月には、トリートメントセラピー・セラピストグランプリ選考会「最優秀セラピスト」を受賞。
2018年4月リンパ浮腫専門看護師の資格取得。
2019年5月には、第9回エステティックグランプリ・ボディ結果だし部門準グランプリを受賞をした。

私が見つけた、「お客様の悩みの本質を見出す」という事は、私にとっての宝物のような出来事だった。

お客様の身体に変化を出そうとした時、施術だけではダメで、本当に生活から深く関わっていくこと。お客様と一致団結し、取り組んでいくことが結果にダイレクトにつながるのだ。

そのお客様の生活背景も一緒に考えていかないと結果が出ないことに気づいた。根本的に生活改善していかないと、お客様の結果が出ない。具体的には・・・。

「お腹の脂肪がなかなか減らない。」という悩みのあるお客様で、施術してもビフォアフターが出にくい方だった。そこで徹底的に話しをし、お客様の普段の生活の中で、身体を冷やしてないか温めていくにはどうしたらいいか、食生活の事をどう見直すかなども一緒に考えて、ケアメニューを構築した。

「お客様にとことん付き合う」が私のワークスタイルとなった。

根本的に生活改善をすると病院は行かなくて済む

病院に行くと治療をしてくれる。その段階は、「もう病気になってしまっている状態」。

しかし治療に行く前の段階で、人の『しんどい』を取り除くことができれば、人を元気にすることができる。
できないことができるようになると気持ちの変化が出る。ただの痩身だけではない、もっと人の心の変化に手助けができる事ができることが分かり、サロンの可能性をハッキリ見出し、実践できるようになった。

現在、セラピスト技術はもとより、中医学も学ぶようになった。
今まで西洋医学を学んで来ていて、ずっと身につけてきた西洋医学で疑問だった事が腑に落ちだした。

それらをすべて活かして、お客様の心と体を全力で応援し、演出していく仕事に私は誇りを感じてる。

 

 

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